貝がら千話

モノ・ホーミーの貝がら千話

第39夜「腹話術師の友人」

第39夜「腹話術師の友人」(二〇一九年三月十六日)

第39夜「腹話術師の友人」(二〇一九年三月十六日)

 腹話術師である男は、窮地に立たされていた。彼の呼び掛けに相棒が全く反応を返してよこさないのである。今までにも時折返事をしないことはあった。眠っていたりだとか、機嫌を損ねていたりだとか。しかしこうも何日も続いたことは今まで一度もなかった。
 男は途方に暮れていた。大抵の腹話術師は、術者が人形を操り、あたかもふたりが会話しているような演技をするものだが、男はそうではなかった。人形を操っているには違いなかったが、そこで人形と男の間でなされる会話はすべて、実際に男と相棒の間でなされたものの再現であった。
 相棒というのは男の親友である。ふたりは物心ついた頃から続く、長い長い付き合いの友人同士だった。しかしこの友人の姿を見たことのある者は誰ひとりいない。男も見たことがない。友人の声は男の頭の中に直接語り掛けてくるのだった。つまり男だけがこの友人の声を聴き、存在を認識していた。
 男と友人は、いつもふたりでいろいろな話をした。冗談を言い合うこともあれば、議論をすることもあった。何か悩みがあれば些細なことでも重大なことでも、男はまず友人に相談をした。友人から話しかけてくることもしばしばであった。そのほとんどは思い付きのダジャレとか、誰かの悪口とか、そんな話ではあったけれど。
 ともかくふたりはお互いに最も信頼のおける友人同士であり、男が腹話術師としての活動をはじめてからは仕事上の相棒同士でもあった。ふたりの間に実際にあった会話を、相談しながら台本としてまとめあげ、男が人形を使って実演した。男の腹話術はリアルでテンポのよい会話が評価され、人気を博した。現実の会話なので当然のことである。このことはふたりの秘密だった。
 相棒が話さなくなったのは三日前の晩のことである。昼までは普通に話していたのに、夜に声を掛けると返事がなかった。その時は特に気にも留めていなかったが、翌日も、そして今日になってもいくら話しかけても返事がない。男と相棒は今夜、大きな舞台での公演が控えていた。憧れの大舞台でのはじめての公演だ。どういうわけで返事がないのか、男にはさっぱり見当もつかなかった。
 自分は一体、今夜の舞台で何をしたらいいのだろうか。しかし相棒はうんともすんとも言わないまま、開演時間は刻一刻と迫り、ついにそのまま幕があいた。
 舞台中央のテーブルにスポットライトが浴びせられ、テーブルの上にはいつも男の手元にある人形がぽつねんと置かれた。観客は息を呑んで見守る。しばらくの沈黙の後、男がぽつりぽつりと語りだした。それは相棒との思い出話だった。今までふたりでしてきたいろいろな体験、いろいろな話を、男は思いつく限り喋った。時折相棒へ呼び掛ける。おい、聴こえているか。しかし反応はない。
 観客は、なかなか腹話術が始まらないことに、はじめ動揺を禁じえなかったが、次第に男の語り口、相棒への思いに心奪われていった。一時間半に及ぶ公演の間、男は人形を手にすることのないままひとりで話し続けた。
 最後に観客に向かって一礼し、人形を残したまま舞台を後にした。客席はしんと静まり返っていたが、どこからともなくすすり泣きの声が聞こえて、それが引き金となってさざ波のようにすすり泣きがあちこちで起こり、しばらくは誰も立ち上がることができなかった。こんなことは劇場が始まって以来はじめてのことであった。
 男はこの日以来、二度と舞台に上がることはなかった。腹話術師を廃業して一週間ほど経った頃、男のもとに公演の噂を聞きつけた編集者から一本の電話がかかってきた。男と友人のことについて本を書かないか、という内容だった。男は引き受け、この本はベストセラーとなった。男はこの編集者と結婚し、ふたりの子どもに恵まれた。
 子どもたちはかわいい双子で、男は生涯幸せに暮らした。時折ふと古い友人のことを思い出し、呼び掛けてみることもあったが、それに応える懐かしい声を再び聞くことはついに一度もなかったという。

(絵と文 モノ・ホーミー/二〇一九年三月十六日)