貝がら千話

モノ・ホーミーの貝がら千話

第40夜「浄化する男」

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貝がら千話 第40夜「浄化する男」(二〇一九年三月十七日)

 男は自分のなかのさまざまなよくない性質を恥じ、それらをぜひとも改善したいと考えていた。そしてとてもよい方法を発見し、日々実践した。
 その方法とは、赤信号の交差点を目を瞑って走り抜けるというものである。男はもともと運動神経がよい方だったが、それでもそんな方法は大変危険で恐怖を禁じえなかった。
 しかしそれをおして、大胆にも遂行し続けた。死の危険を冒すと、男の中のよくない性質がひとつ消失した。この因果関係に気が付いたとき、男はいたく感動し、利用しない手はないと考えた。自分の体を危険にさらすことで、内なるよくない性質をどんどん消していった。
 男はまっしろい空間に横たわっていた。ここはどこだろう。確か、いつものように、よくない性質を消すために横断歩道を急いで横切ろうとしたはずだ。
 おい。男とまったく同じ顔をした男が、横たわる男の顔を覗き込んでいた。
 おい、ついに成功したぞ。喜べ。同じ顔の男は言った。
 一体何を?ここはどこなんだ。あんたは一体?
 おれは、おれだ。おれはついによくない性質を全部消し終えたんだ。実にめでたいことじゃないか。
 そうか、ついにやったのか。最後のよくない性質は何だったのだろう。
 それは人の迷惑を顧みず、自分の目的のために基本的なルールを守らない、おれのそういう性質だよ。
 男はこれまでずっと、この方法でたくさんの人に迷惑をかけていることについては目を瞑ってきた。幸い事故にはならずにここまできたものの、あえて自分の身を危険に晒し続けるということは、たくさんのドライバーを危うく殺人者にするリスクをとり続けるということでもあった。この方法を続けるうちに、男はどんどん人格者になり、周囲からはほとんど聖人のような扱いを受けるようになっていたが、これだけは最後まで改められることがなかったのである。
 この方法をやめさえすればすべて完成というわけさ。同じ顔の男が言った。
 おれはもしかして車に轢かれたのか?
 いや、それは違う。おれの体は今、真夜中の横断歩道に横たわっている。幻を見たんだよ、車がたくさん行き交っている。それで渡ろうとして、幻の車に轢かれ、倒れた。でも、考えてみればわかるだろう、こんな夜中に車がたくさん通っているはずがないってこと。
 幻だったのか。死んでいるわけではないんだな。
 だけどこのままじゃ本当に轢かれて死んでしまうかもしれない。おれは選ばなくちゃならないんだ。ここで目覚めてすべて成功し、よくないところのひとつもないおれとなって生きるか、目覚めずに車に轢かれるか。
 そんなもの、前者に決まっているじゃないか。そのために今までやってきたんだ。
 ただし、その場合、よくない性質のあった頃のおれのことは全て忘れてしまう。
 じゃあ、嫌なところを改めていったということも忘れてしまうのか。
 もちろんそうだ。
 それは困る。おれはおれのままで、完全なおれになりたかったんだ。
 このまま目覚めなければ、忘れることはない。しかし、車に轢かれた後にどうなるかはわからない。死んでしまうかもしれないし、幸い死なずに済んだとしても、自分の目的のために他人に交通事故を起こさせた人間として、一生を過ごすことになる。
 そんなの、まったく良い人間ではないじゃないか。そんなことは困る。
 でもそれがおれなんだ。そうだろ?さあ、選べよ、時間はないぜ。真夜中とはいえ、いつ車が通るかなんてわからないんだから。
 男は今までの人生を振り返っていた。よくない性質が原因でいろいろな人にかけた迷惑、させてしまった嫌な思い、男はいつもそのことに胸を痛めてきたのだ。自分はなんてだめな人間なんだ。生きている価値はあるのだろうか。いい人間になって、たとえ全てを忘れてしまったとしても、それで誰も困らせることがなくなるのなら本望ではないか。
 よし、わかった。おれは目覚めるぞ。
 よし、わかった。起こすぞ。
 同じ顔の男が横たわる男に手を差し出した。男はその手を握り、ぐっと体を起こした。
 真夜中の交差点の真ん中に男が立っている。にこにこと、いかにも人のよさそうな笑顔をたたえ、不思議そうにあたりを見回していた。男は信号の点滅に気が付いた。そして、急いで反対側へ渡り切ると、そのままどこかへ去って行った。


(絵と文 モノ・ホーミー/


二〇一九年三月十七日)