貝がら千話

モノ・ホーミーの貝がら千話

第57夜「お元気そうで何よりです」

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第57夜「お元気そうで何よりです」(二〇一九年四月三日)

「お元気そうで何よりです。」
 はがきには、ただこれだけ書かれていた。何の変哲もない普通の白いはがきで、宛名面には男の住所、名前。左上に切手が貼られ、消印が捺されている。ただし差出人の住所、名前が書かれていない。消印はかすれてよく読めなかった。
 筆跡に見覚えはない。なるだけ不気味でない方向性でこのはがきを理解したかったので、男は自分にこのはがきを送ってくる可能性のある人物について考え始めた。が、こういうものを送ってきそうな知人を思い浮かべることはできなかった。他に何もなく、一言書かれているだけ、というのが不穏に感じられた。
 お元気「そう」で「何より」です。
 男は実際元気に日々を過ごしていた。しかしこのはがきの送り主はもしかして自分の身辺を脅かそうとしているのではないかと気が気でなく、不安を打ち消すために人前ではいっそう元気に振る舞うようになっていったが、周囲から見ても明らかに空元気だったし、非常に用心深く神経質な言動が目立つので、男の様子がおかしいことはすぐに周知の事実となった。
 最近どうしたんですか。
 見るに耐え兼ねた職場の後輩が、ついに男に尋ねた。男は普段、仕事場で個人的な話を積極的にする方ではなかった。同居の家族もおらず、社交的な趣味もないので特に話すこともなかったからだ。周囲の人々も、なんとなくそんな男の暮らしぶりを察知して、特に何も尋ねることはなかった。男の様子がおかしいことはわかっても、それまでの関係性から一歩踏み込んで声をかける者はなかなか現れなかった。しかし次第に仕事への影響が大きくなってゆき、後輩でもあり上司でもある彼が、やむなくこの壁を乗り越えることとなったのである。
 え、何がです、何もないですよ。いやいや、様子が変だ、何かあったのかもってみんな心配していますよ。
 男ははじめ、頑なに事情を明かさなかった。けれど後輩が、何か隠れようとしているみたいな逃げようとしているみたいな感じがする、と言うのを聞いて、ようやく事の次第について語り始めた。
 後輩は男の話を黙って聞いて、しばらくして、こう言った。ああ…ああ、それ、流行ってるんですよ、知らないですか?あの分厚い電話帳あるじゃないですか、あれ最近じゃあ使い途がないからって、ちょっとした遊び、いたずらみたいな感じで。誰が始めたものなのかわからないですけど。一見思いやりみたいな感じの文面が、タチ悪いですよね、なんとなく不安にさせるっていうか。でも宝くじみたいなもので、届いたらラッキーなんて言われてるんですよ。だから気にすることないです。本当に、気にしないでください。
 その日の帰り道、男ははがきを千枚購入した。そんな流行は全く知らなかったが、後輩の言うことを信じることにした。届いたらラッキーなものなら、自分のところで止めたりせずに、さらに誰かに届けた方が良いだろうと考えたが、流行とやらに乗ることで不安を手放したいという気持ちも大きかったのは言うまでもない。届いたまま物置に放り込んでいた電話帳を引っ張り出して、適当なページを開き、宛名を書いて、ポストに投函した。文面はもちろんこうである。
「お元気そうで何よりです。」

 

(絵と文 モノ・ホーミー/二〇一九年四月三日)