貝がら千話

モノ・ホーミーの貝がら千話

第69夜「気のいい少年」

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第69夜「気のいい少年」 (二〇一九年四月十五日)

 少年はいつもご機嫌だった。どんな時もニコニコと楽しそうな少年は、しばしば嫌がらせを受けた。あいつ、あんなに能天気にして、何の苦労も知らないに違いない。いいご身分だな。
 実際その通りだったし、嫌がらせをされても全く意に介さない少年はますます煙たがられ、しまいには馬鹿にされたと言って怒りだす人までいた。それでも少年がいつもご機嫌でとても気のいい奴だったので、大抵は誰かしらが怒っている人をどうにかなだめ、その場を納めていたのである。こういう時は一応、態度だけでもしおらしくしておくのがいいよ、と耳打ちする人もいたが、何を怒っているのかさっぱり理解できない少年にとっては無意味な忠告であった。
 少年はいつも一冊のノートを持ち歩いていた。何が書かれているのかは誰も知らない。ひとりでいるとき、少年はよくそれを取り出して眺めてはニコニコしていた。
 あのノート、きっとよほど大事なことが書いてあるに違いない。よし、あれをこっそり盗んで、あいつにも人生の辛苦をわからせてやろう。
 あるとき、少年をよく思っていない連中が画策して少年のノートを盗みだし、隠してしまった。少年が慌てる様子を見物して、いい頃合いになったらさも落ちていたノートを発見したかのように見せかけて、少年に届けてやろう。そうすれば少年も自分たちを少しは尊重するに違いない。そう考えて物陰から観察していたが、ノートが見当たらないことに気が付いても少年は少しも取り乱した様子を見せず、落ち着いて探すだけだった。
 あるはずのない場所をのんびり探し続ける少年に、連中は次第に苛立ち始めた。いつも持ち歩くような大事なノートなら、もっと必死になって探すべきだ。それとも実はたいして大事なノートではなかったのだろうか。そしてついに、連中は少年のノートを開いて中を見てみた。それまでは一応少年に遠慮して、中を見ずにいたのである。
 ノートは白紙だった。どのページにも何も書かれていなかった。連中は怒りに震えて少年の前に飛び出した。
 おいお前、お前が探してるノートはここだよ。中を見たが何も書かれていないじゃないか。さも大事そうに持ち歩いて、やっぱり俺たちを馬鹿にしていたんだな。そう言って少年の目の前でノートをビリビリに破り捨ててしまった。はじめぽかんとしていた少年は、状況を理解し始めると徐々に顔色が真っ青になり、そして一気に真っ赤になって、爆発するみたいに怒った。
 機嫌がよくない少年を見るのもはじめてだったし、そもそもその場にいた誰もがこんなに怒っている人を見るのははじめてで、自分たちの怒りなんてすっかり忘れてしまった。少年が怒らせた人のことをいつもなだめてくれる人たちも集まってきて、今日は少年をなだめようとし、連中も平謝りに謝って、その場はどうにか納まった。
 このことがあってから、少年はいつもご機嫌ではなくなった。相変わらず気のいい奴ではあったけれど、前とは何となく様子が違うようだった。少年に嫌がらせをしていた連中は、少年にも怒るようなことがあるのだと知って無闇に腹を立てることもなくなり、ほんの少しだけ機嫌のいい連中になった。
 少年を庇っていた人たちは少年の変化を寂しく思ったりもしたが、やがてそれも当たり前になった。少年ははじめから何も変わらない、気のいい少年だったと皆が思うようになる頃には、少年自身、ノートの一件のことはすっかり忘れてしまっていた。ただなぜだかわからない、小さな怒りがいつまでも、少年の心に留まるようになっていた。

 

(絵と文 モノ・ホーミー/二〇一九年四月十五日)