貝がら千話

モノ・ホーミーの貝がら千話

第30夜「アトリエの夜」

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貝がら千話 第30夜「アトリエの夜」(二〇一九年三月七日)

 アトリエにいるときは、とにかく真っ暗にだけは気をつけなければならない。アトリエはわたしにとってどこよりも親密な、心安らぐ空間である。物心つくよりずっと前から、わたしはここで多くの時間を過ごした。このアトリエが一体いつから使われているのか、詳しいことはわからない。祖父も先代から引き継いだと話していた。
 このアトリエにはあらゆる道具がある。そのなかには、わたしからしたら何にどう使うものかわからない道具も山のようにあるし、同じようにありとあらゆる材料が今ではもう誰にも使われることなく眠っている。
 祖父は木工職人だった。わたしは祖父が滑らかな手つきで木を切り、削り、あたかもはじめからそうであったかのようにきっちりと組み上がった小さな箪笥を作り上げてゆくのを見るのが大好きだった。祖父の作った箪笥は何年使っても祖父の手つきと同じように滑らかな引き出しを保っていた。
 祖父の横では、仕立て屋の祖母がミシンを踏んでいた。祖母はオーダーメードのスーツを作っていて、いかにも上等な布をきっぱりとした手つきで裁ち、あっという間にスーツを仕立ててしまう。祖母はミシンを踏むリズムに合わせていつも歌を唄っていて、わたしはこの歌を聴くのが大好きだった。祖母の仕立てたスーツを着たおじさんたちはとても誇らしげに見えて、わたしもとても誇らしい気持ちになったものだ。
 父は版画家だった。銅の板に細かい絵を描いて、大きなプレス機で印刷した。絵を描いている間も、銅板を薬品で処理している間も、父はいつも険しい顔つきで、でも印刷がうまくいったときだけ本当にほっとした笑顔を見せる。その笑顔がわたしは大好きだった。わたしも父の横で一緒になって緊張し、一緒になってほっとした。美しい版画が刷り上がったときの喜びは格別だった。
 母は写真家だった。アトリエの中にスタジオを作り、日がな一日いろいろなものを積み上げては崩し、ああでもないこうでもないと首をひねっていた。夕方過ぎてようやく納得のいく写真が取れたかと思うと、今度はアトリエの中につくった暗室にこもって、ああでもないこうでもないと首をひねった。母は横で見ているわたしに時々おつかいを頼む。台所からおしゃもじを取って来てね。外から枝を拾って来てくれないかしら。わたしは母の役に立てるのが嬉しくて、おつかいが大好きだった。頼まれたものを持って来て母の気に入る構成ができるまで、わたしも一緒になって首をひねったものである。
 アトリエにはたくさんの楽しい思い出が詰まっている。わたしは職人でもなければ作家でもない。妹はデザイナーになったが、アトリエには物が多すぎて集中できないと言って、自分で事務所を設立して出ていった。だからこの優しい空間はわたしだけのものである。
 残されていた作品は全て手放してしまった。出来上がったそのひとつひとつに、何か意味があるとはわたしには思えなかった。価値があると思う人がいるならば、その人の手に渡って大事にしてもらった方がよいだろう。そんなことよりも、父と母が、祖父母が、それよりずっと前から、このアトリエでみなが過ごした時間、その手の記憶の残る道具たち、この場所がここにあることが何よりも大切なことだ。
 けれど、真っ暗はいけない。親密さは光によって保たれる。だからわたしは夜になる前に、全ての明かりをつけてしまう。真っ暗になったが最後、優しさも、温もりも、全て均一な闇に呑み込まれてしまうのだ。かつての手の記憶を携えていたはずの道具たちが持ち主のいない悲しみを思い出して、暗く重たい存在感を放ちだす、アトリエのそんな姿には耐えられない。
 だから夜になる前にアトリエの明かりをつけて、光が決して絶えないように、闇に呑まれないように、朝が来るのを静かに待っているのである。


(絵と文 モノ・ホーミー/二〇一九年三月七日)