貝がら千話

モノ・ホーミーの貝がら千話

第86夜 「てるてる坊主」

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第86夜 「てるてる坊主」 (二〇一九年五月二日)

 子どもの頃、ぼくには相棒と呼ぶべき友人がいた。ぼくもそいつも、それぞれひとりでいるときにはどちらかと言えばむしろおとなしい部類の目立たない子どもだったけれど、二人一緒になると途端に悪ガキに変身した。
 最初に同じクラスになったのは小学校の三年生の時で、二人とも目立たないせいで面識はなく、存在も知らない位だったが、すぐに打ち解け意気投合した。
 一人じゃ何もしないくせに、二人でいると気が大きくなって、本当に何でもできるような気がした。それまで授業中に手を挙げたことなんてなかったのに、交代で挙手してめちゃくちゃな質問をして授業を中断させたり、他の児童を巻き込んで夏休みの宿題を分業したり、とにかく教員の思惑を撹乱するようなことばかりして、印象の薄い児童代表だったぼくらは一気に要注意児童の座を不動のものにした。
 お前のせいでぼくの評判が落ちたじゃないか、とお互いに言って、二人で顔を見合わせて笑い合った。教員からも両親からも注意注意の毎日だったが、二人でいて楽しいという気持ちの方がずっと強かったので、そんなことはどうってことなかった。
 通例、三年生から四年生に進級する際にクラス替えは行われないことになっていたが、ぼくらのときにはクラス替えが実施された。ぼくとそいつは別々のクラスに離されて、これってきっとぼくらを離すためにやったことだよね、と、離されたことの怒りよりも通例を破らせたことが愉快で、ぼくらは却って上機嫌だった。同じクラスでなくとも相棒も隣のクラスでそうしていると思うと、一緒にいるのと同じかそれ以上に気が大きくなって、ぼくらは二人ともそれまで以上に悪ガキとして名を馳せたのであった。
 一応ぼくとそいつの名誉のために言っておくと、ただ悪いことばかりしていたわけではない。例えば遠足の前の日のことである。明日は大雨という予報を受けて、皆の期待が急降下するなかで、ぼくらは一日中、授業そっちのけでてるてる坊主を作っていた。
 しまいには他の児童も一緒になって作りだしたので、教員も観念して五時間目の授業が図工に変更された。こうしてぼくらは教室をてるてる坊主でいっぱいにし、なんと翌日見事な晴れ空となったのであった。たまたまなんかじゃないと思う。その頃のぼくとそいつが二人でかかれば確かに天気を変える位の力を持っていたのだ。
 そんな二人の関係は、しかし長くは続かなかった。中学校に進学したぼくとそいつは、どういうわけだか急に疎遠になってしまった。そして二人とも、元の地味な生徒に戻ってしまった。小学校での悪評判を聞いていた教員たちは、さぞかし拍子抜けしたことだろう。しかし当時のぼくらにとってそれは、何の不思議もないごく自然な成り行きだった。二人の中が険悪になったということでは決してない。ただ疎遠になった、それだけだ。今でも近所に住んでいるし、同窓会で会うこともある。会えば挨拶くらいはするけれど、それ以上でも以下でもない。はじめは気にかけていた周囲の友人も、そのうちそれが普通になって、時たま話題にのぼっても、そんなことあったよね、と笑い話になる位のものである。
 あの頃のぼくらには、完全な同期があって、それは周囲へ影響するほどの強い力となっていた。あの関係があのまま続けていたらどうなっていただろう。懐かしく思う反面、恐ろしくもある。これで良かったと、ぼくは思っている。きっとあいつもそう思っているに違いない。

 

(絵と文 モノ・ホーミー/二〇一九年五月二日)

第69夜「気のいい少年」

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第69夜「気のいい少年」 (二〇一九年四月十五日)

 少年はいつもご機嫌だった。どんな時もニコニコと楽しそうな少年は、しばしば嫌がらせを受けた。あいつ、あんなに能天気にして、何の苦労も知らないに違いない。いいご身分だな。
 実際その通りだったし、嫌がらせをされても全く意に介さない少年はますます煙たがられ、しまいには馬鹿にされたと言って怒りだす人までいた。それでも少年がいつもご機嫌でとても気のいい奴だったので、大抵は誰かしらが怒っている人をどうにかなだめ、その場を納めていたのである。こういう時は一応、態度だけでもしおらしくしておくのがいいよ、と耳打ちする人もいたが、何を怒っているのかさっぱり理解できない少年にとっては無意味な忠告であった。
 少年はいつも一冊のノートを持ち歩いていた。何が書かれているのかは誰も知らない。ひとりでいるとき、少年はよくそれを取り出して眺めてはニコニコしていた。
 あのノート、きっとよほど大事なことが書いてあるに違いない。よし、あれをこっそり盗んで、あいつにも人生の辛苦をわからせてやろう。
 あるとき、少年をよく思っていない連中が画策して少年のノートを盗みだし、隠してしまった。少年が慌てる様子を見物して、いい頃合いになったらさも落ちていたノートを発見したかのように見せかけて、少年に届けてやろう。そうすれば少年も自分たちを少しは尊重するに違いない。そう考えて物陰から観察していたが、ノートが見当たらないことに気が付いても少年は少しも取り乱した様子を見せず、落ち着いて探すだけだった。
 あるはずのない場所をのんびり探し続ける少年に、連中は次第に苛立ち始めた。いつも持ち歩くような大事なノートなら、もっと必死になって探すべきだ。それとも実はたいして大事なノートではなかったのだろうか。そしてついに、連中は少年のノートを開いて中を見てみた。それまでは一応少年に遠慮して、中を見ずにいたのである。
 ノートは白紙だった。どのページにも何も書かれていなかった。連中は怒りに震えて少年の前に飛び出した。
 おいお前、お前が探してるノートはここだよ。中を見たが何も書かれていないじゃないか。さも大事そうに持ち歩いて、やっぱり俺たちを馬鹿にしていたんだな。そう言って少年の目の前でノートをビリビリに破り捨ててしまった。はじめぽかんとしていた少年は、状況を理解し始めると徐々に顔色が真っ青になり、そして一気に真っ赤になって、爆発するみたいに怒った。
 機嫌がよくない少年を見るのもはじめてだったし、そもそもその場にいた誰もがこんなに怒っている人を見るのははじめてで、自分たちの怒りなんてすっかり忘れてしまった。少年が怒らせた人のことをいつもなだめてくれる人たちも集まってきて、今日は少年をなだめようとし、連中も平謝りに謝って、その場はどうにか納まった。
 このことがあってから、少年はいつもご機嫌ではなくなった。相変わらず気のいい奴ではあったけれど、前とは何となく様子が違うようだった。少年に嫌がらせをしていた連中は、少年にも怒るようなことがあるのだと知って無闇に腹を立てることもなくなり、ほんの少しだけ機嫌のいい連中になった。
 少年を庇っていた人たちは少年の変化を寂しく思ったりもしたが、やがてそれも当たり前になった。少年ははじめから何も変わらない、気のいい少年だったと皆が思うようになる頃には、少年自身、ノートの一件のことはすっかり忘れてしまっていた。ただなぜだかわからない、小さな怒りがいつまでも、少年の心に留まるようになっていた。

 

(絵と文 モノ・ホーミー/二〇一九年四月十五日)

第61夜「花と石」

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第61夜「花と石」(二〇一九年四月七日)

 人の話を聞いて綺麗な石を作ることができる少年がいた。話す人の手を片方の手で握りながらその人の話を聞くと、話が終わったとき、少年のもう片方の手には綺麗な石がひとつ握られていた。この石を握るとそのときの話をありありと再現することができる。
 誰しも忘れたくないことはあるものだ。少年はいろいろな人の話を聞いてたくさんの綺麗な石を作った。家族や恋人との思い出や、発明家の天才的なひらめき、重要な商談、政治家の密約など内容は多岐に渡った。世界各地の様々な人が少年に話を聞いてほしいと請い、少年も求めに応じてあちこち訪れた。
 そのうちひとりですべての要請に一つ一つ答えることが難しくなり、少年の予定を管理し決定するマネージャーや、プロデューサー、その活動を支援する者など、少年を取り巻く環境は次第に大規模なものになっていった。関わる人が増えても、相変わらず少年にできることは人の話を聞いて綺麗な石を作ることだけである。少年は石を作ることに専念できるようになり、以前に増して熱心に話を聞き、精力的に綺麗な石を作り続けた。
 あるとき少年はひとりの少女に恋をした。少女は花売りの娘だった。少女も少年を気に入り、少年の忙しいスケジュールの合間を縫ってたびたび会うようになった。少年があまりに多忙なので、一緒に過ごせる時間はいつも僅かだったけれど、少女といろいろな話をする時間を、少年はとても大切に思っていた。少女は少年に会うとき、いつも一輪の花をプレゼントした。少年はそれを喜んで受け取り、部屋に飾った。しかし少年はいつも世界中を飛び回り、家に帰れない日も多かった。何日かして家に戻ると美しかった花はすっかり枯れてしまっていた、なんてことはしょっちゅうだった。
 少年は少女のことをいつでも思い出せるように、少女と過ごす時間を石にして残したいと思った。花は美しいけれど持ち歩くことは難しいし、あっという間に枯れてしまう。それではあまりに悲しい。もし石をプレゼントしたら少女もきっと喜ぶだろう。
 しかし少女は少年の申し出を受け入れなかった。綺麗な石はいらないから、これまで通りふたりでいろいろな話をしましょう、と言った。少年は驚き、なぜだめなのか、と食い下がった。少年は少女の記憶といつでも共にありたいと主張し、少女はふたりが会いたいと願っていれば必ず会えるのだからそんなものは必要ないと主張した。
「わたしがあなたに花を渡すのはあなたとまた会いたいと思うからです。あなたが部屋に戻れない日が多く、花を見る時間もほとんどないことはわかっています。それでも、遠く離れた世界のどこかから部屋でひっそりと咲く花を思い出すとき、きっとまたあの部屋に帰ろうと思うであろうこと、そしてまたわたしに会いに来てくれるだろうと、そう思っているのです。」

(絵と文 モノ・ホーミー/二〇一九年四月七日)

第57夜「お元気そうで何よりです」

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第57夜「お元気そうで何よりです」(二〇一九年四月三日)

「お元気そうで何よりです。」
 はがきには、ただこれだけ書かれていた。何の変哲もない普通の白いはがきで、宛名面には男の住所、名前。左上に切手が貼られ、消印が捺されている。ただし差出人の住所、名前が書かれていない。消印はかすれてよく読めなかった。
 筆跡に見覚えはない。なるだけ不気味でない方向性でこのはがきを理解したかったので、男は自分にこのはがきを送ってくる可能性のある人物について考え始めた。が、こういうものを送ってきそうな知人を思い浮かべることはできなかった。他に何もなく、一言書かれているだけ、というのが不穏に感じられた。
 お元気「そう」で「何より」です。
 男は実際元気に日々を過ごしていた。しかしこのはがきの送り主はもしかして自分の身辺を脅かそうとしているのではないかと気が気でなく、不安を打ち消すために人前ではいっそう元気に振る舞うようになっていったが、周囲から見ても明らかに空元気だったし、非常に用心深く神経質な言動が目立つので、男の様子がおかしいことはすぐに周知の事実となった。
 最近どうしたんですか。
 見るに耐え兼ねた職場の後輩が、ついに男に尋ねた。男は普段、仕事場で個人的な話を積極的にする方ではなかった。同居の家族もおらず、社交的な趣味もないので特に話すこともなかったからだ。周囲の人々も、なんとなくそんな男の暮らしぶりを察知して、特に何も尋ねることはなかった。男の様子がおかしいことはわかっても、それまでの関係性から一歩踏み込んで声をかける者はなかなか現れなかった。しかし次第に仕事への影響が大きくなってゆき、後輩でもあり上司でもある彼が、やむなくこの壁を乗り越えることとなったのである。
 え、何がです、何もないですよ。いやいや、様子が変だ、何かあったのかもってみんな心配していますよ。
 男ははじめ、頑なに事情を明かさなかった。けれど後輩が、何か隠れようとしているみたいな逃げようとしているみたいな感じがする、と言うのを聞いて、ようやく事の次第について語り始めた。
 後輩は男の話を黙って聞いて、しばらくして、こう言った。ああ…ああ、それ、流行ってるんですよ、知らないですか?あの分厚い電話帳あるじゃないですか、あれ最近じゃあ使い途がないからって、ちょっとした遊び、いたずらみたいな感じで。誰が始めたものなのかわからないですけど。一見思いやりみたいな感じの文面が、タチ悪いですよね、なんとなく不安にさせるっていうか。でも宝くじみたいなもので、届いたらラッキーなんて言われてるんですよ。だから気にすることないです。本当に、気にしないでください。
 その日の帰り道、男ははがきを千枚購入した。そんな流行は全く知らなかったが、後輩の言うことを信じることにした。届いたらラッキーなものなら、自分のところで止めたりせずに、さらに誰かに届けた方が良いだろうと考えたが、流行とやらに乗ることで不安を手放したいという気持ちも大きかったのは言うまでもない。届いたまま物置に放り込んでいた電話帳を引っ張り出して、適当なページを開き、宛名を書いて、ポストに投函した。文面はもちろんこうである。
「お元気そうで何よりです。」

 

(絵と文 モノ・ホーミー/二〇一九年四月三日)

第44夜「添い寝」

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貝がら千話 第44夜「添い寝」(二〇一九年三月二一日)

 夜、眠っていると布団の中にいろいろなものが勝手に入ってくる。はじめは猫だった。
 眠っているときに何かふわふわとした柔らかく暖かいものが肌に触れて、びっくりして飛び起きた。布団をめくると猫がいた。おい、お前一体どこから来たんだ。にゃあ。勝手に入ってきたりして、驚くじゃないか。にゃあ。そこをどいてくれよ、一体どこの猫なんだい。にゃあ。全く埒があかなかった。どうしても、と言うのなら今晩は仕方ないけれど、朝になったらきちんと家に帰るんだぞ。にゃあ。
 翌朝、目が覚めると布団の中に猫はいなかった。わたしは安堵した。
 しかし、その夜眠っていると再びふわふわとした柔らかく暖かいものが肌に触れ、びっくりして飛び起きた。布団をめくると猫がいた。おい、お前また来たのか。にゃあ。勝手に入ってきたりして、困るよ。にゃあ。やはり埒があかなかった。
 わたしは猫と眠り、朝になると猫はいなくなっていた。これが夜毎に繰り返され、気がついたら猫はいつの間にか増えて三匹になっていた。お前たち、本当に勘弁してくれよ。にゃあ。にゃあ。にゃあ。
 しかし、これが猫のうちはまだよかったのだ。そのうち犬がやってきて、亀がやってきて、ハムスター、猿、インコ、金魚が来たときはさすがに面食らったが、わたしもだんだんと状況に慣れて、少し位のことでは驚かなくなっていった。
 日によって何が来るかはまちまちで、猫が一匹の日もあれば、布団の中がぎゅうぎゅうになってしまうような日もあった。わたしはいつも、その日やってきたものたちと、ひとつの布団で眠った。いちいち布団を剥がして確認したりもしなくなった。どうせ来るものは来るし、朝になれば必ず姿を消しているのだから、そんなことより自分の睡眠が大事である。
 起こってほしいことはなかなか起きないのに、こんなことがなければいいと思っているようなことに限って起きてしまうものである。わたしが眠っていると何者かがわたしの体を揺すり、叩き起こした。
 何を悠長に寝ているんです。起きてください。四十代半ば位の男がわたしの横で、布団の上に座っている。どうしてこんなことをするんです、元に戻してください。何を言っているんですか、わたしは何もしてやいませんよ。ああ、ついにこの日が来てしまった。いつか人間が来るんじゃないかと思ったんだ。やめて欲しいのはわたしの方です。あなたがわたしの布団に勝手に入ってきたんじゃありませんか。
 わたしはそんなことしません。あなたの布団に忍び込んで一体どうするって言うんです。する理由がありませんよ。どういうわけか知らないが、あなたが眠っているわたしをここに連れてきたんだ。
 それこそ、そんなことをしてどうするって言うんです。わたしは毎夜いろいろなものが布団に入ってきて全く迷惑しているんです。
 毎夜?勝手に?そうですよ。はじめは猫だったんです、それがどんどんいろんなものが来るようになって、ついにあなたが来たわけだ。ついにってね、来たくてきたわけじゃないんだ。こんなところに連れてこられてわたしだって迷惑してるんだから。
 まあ、でも安心してくださいよ、朝にはいつも元通りなんだ。みんな消えてしまっている。きっとあなたも目が覚めるのは自分の布団の上ですから。朝になると勝手に元の場所に戻っているということか?いえ、確かめたわけじゃないけれど、また別の日にやって来ることもありますから、きっとそうなんじゃないかと思いますよ。だからあなたも眠ったほうがいい。夜更かししても仕方ないから。
 何度も来ることになるということか、冗談じゃない。きちんとわけを調べて食い止めないと。
 全くやっぱり思った通りだ、眠れやしない。いつか来るとは思ったが、これだから人間が来るのは嫌だったんだ。いつか?思った?わかったぞ、やっぱりあなたが呼んでいるんだ。そんなことを考えるから、こんなことになるんだ。何を無茶なことを言うんです。わたしにそんな力はありません。喚いてどうなるんです。ああ、ほら猫も目を覚ましてしまった。にゃあ。眠った方がいいですよ。体に毒だ。
 あなたと?この布団で?他に何があるんです。さあ、わたしは眠りますから、あなたもそうしてください。
 男ははじめぶつぶつと文句を言っていたが、最後には布団に潜り眠った。朝になると、やはり皆消えていた。この男はその後も時々布団の中にやってくる。今では慣れたもので、お互いに特に気にせずに眠りにつく。
 さて今夜は何と眠ることになるのやら。

 

(絵と文 モノ・ホーミー/二〇一九年三月二一日)

第40夜「浄化する男」

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貝がら千話 第40夜「浄化する男」(二〇一九年三月十七日)

 男は自分のなかのさまざまなよくない性質を恥じ、それらをぜひとも改善したいと考えていた。そしてとてもよい方法を発見し、日々実践した。
 その方法とは、赤信号の交差点を目を瞑って走り抜けるというものである。男はもともと運動神経がよい方だったが、それでもそんな方法は大変危険で恐怖を禁じえなかった。
 しかしそれをおして、大胆にも遂行し続けた。死の危険を冒すと、男の中のよくない性質がひとつ消失した。この因果関係に気が付いたとき、男はいたく感動し、利用しない手はないと考えた。自分の体を危険にさらすことで、内なるよくない性質をどんどん消していった。
 男はまっしろい空間に横たわっていた。ここはどこだろう。確か、いつものように、よくない性質を消すために横断歩道を急いで横切ろうとしたはずだ。
 おい。男とまったく同じ顔をした男が、横たわる男の顔を覗き込んでいた。
 おい、ついに成功したぞ。喜べ。同じ顔の男は言った。
 一体何を?ここはどこなんだ。あんたは一体?
 おれは、おれだ。おれはついによくない性質を全部消し終えたんだ。実にめでたいことじゃないか。
 そうか、ついにやったのか。最後のよくない性質は何だったのだろう。
 それは人の迷惑を顧みず、自分の目的のために基本的なルールを守らない、おれのそういう性質だよ。
 男はこれまでずっと、この方法でたくさんの人に迷惑をかけていることについては目を瞑ってきた。幸い事故にはならずにここまできたものの、あえて自分の身を危険に晒し続けるということは、たくさんのドライバーを危うく殺人者にするリスクをとり続けるということでもあった。この方法を続けるうちに、男はどんどん人格者になり、周囲からはほとんど聖人のような扱いを受けるようになっていたが、これだけは最後まで改められることがなかったのである。
 この方法をやめさえすればすべて完成というわけさ。同じ顔の男が言った。
 おれはもしかして車に轢かれたのか?
 いや、それは違う。おれの体は今、真夜中の横断歩道に横たわっている。幻を見たんだよ、車がたくさん行き交っている。それで渡ろうとして、幻の車に轢かれ、倒れた。でも、考えてみればわかるだろう、こんな夜中に車がたくさん通っているはずがないってこと。
 幻だったのか。死んでいるわけではないんだな。
 だけどこのままじゃ本当に轢かれて死んでしまうかもしれない。おれは選ばなくちゃならないんだ。ここで目覚めてすべて成功し、よくないところのひとつもないおれとなって生きるか、目覚めずに車に轢かれるか。
 そんなもの、前者に決まっているじゃないか。そのために今までやってきたんだ。
 ただし、その場合、よくない性質のあった頃のおれのことは全て忘れてしまう。
 じゃあ、嫌なところを改めていったということも忘れてしまうのか。
 もちろんそうだ。
 それは困る。おれはおれのままで、完全なおれになりたかったんだ。
 このまま目覚めなければ、忘れることはない。しかし、車に轢かれた後にどうなるかはわからない。死んでしまうかもしれないし、幸い死なずに済んだとしても、自分の目的のために他人に交通事故を起こさせた人間として、一生を過ごすことになる。
 そんなの、まったく良い人間ではないじゃないか。そんなことは困る。
 でもそれがおれなんだ。そうだろ?さあ、選べよ、時間はないぜ。真夜中とはいえ、いつ車が通るかなんてわからないんだから。
 男は今までの人生を振り返っていた。よくない性質が原因でいろいろな人にかけた迷惑、させてしまった嫌な思い、男はいつもそのことに胸を痛めてきたのだ。自分はなんてだめな人間なんだ。生きている価値はあるのだろうか。いい人間になって、たとえ全てを忘れてしまったとしても、それで誰も困らせることがなくなるのなら本望ではないか。
 よし、わかった。おれは目覚めるぞ。
 よし、わかった。起こすぞ。
 同じ顔の男が横たわる男に手を差し出した。男はその手を握り、ぐっと体を起こした。
 真夜中の交差点の真ん中に男が立っている。にこにこと、いかにも人のよさそうな笑顔をたたえ、不思議そうにあたりを見回していた。男は信号の点滅に気が付いた。そして、急いで反対側へ渡り切ると、そのままどこかへ去って行った。


(絵と文 モノ・ホーミー/


二〇一九年三月十七日)

第39夜「腹話術師の友人」

第39夜「腹話術師の友人」(二〇一九年三月十六日)

第39夜「腹話術師の友人」(二〇一九年三月十六日)

 腹話術師である男は、窮地に立たされていた。彼の呼び掛けに相棒が全く反応を返してよこさないのである。今までにも時折返事をしないことはあった。眠っていたりだとか、機嫌を損ねていたりだとか。しかしこうも何日も続いたことは今まで一度もなかった。
 男は途方に暮れていた。大抵の腹話術師は、術者が人形を操り、あたかもふたりが会話しているような演技をするものだが、男はそうではなかった。人形を操っているには違いなかったが、そこで人形と男の間でなされる会話はすべて、実際に男と相棒の間でなされたものの再現であった。
 相棒というのは男の親友である。ふたりは物心ついた頃から続く、長い長い付き合いの友人同士だった。しかしこの友人の姿を見たことのある者は誰ひとりいない。男も見たことがない。友人の声は男の頭の中に直接語り掛けてくるのだった。つまり男だけがこの友人の声を聴き、存在を認識していた。
 男と友人は、いつもふたりでいろいろな話をした。冗談を言い合うこともあれば、議論をすることもあった。何か悩みがあれば些細なことでも重大なことでも、男はまず友人に相談をした。友人から話しかけてくることもしばしばであった。そのほとんどは思い付きのダジャレとか、誰かの悪口とか、そんな話ではあったけれど。
 ともかくふたりはお互いに最も信頼のおける友人同士であり、男が腹話術師としての活動をはじめてからは仕事上の相棒同士でもあった。ふたりの間に実際にあった会話を、相談しながら台本としてまとめあげ、男が人形を使って実演した。男の腹話術はリアルでテンポのよい会話が評価され、人気を博した。現実の会話なので当然のことである。このことはふたりの秘密だった。
 相棒が話さなくなったのは三日前の晩のことである。昼までは普通に話していたのに、夜に声を掛けると返事がなかった。その時は特に気にも留めていなかったが、翌日も、そして今日になってもいくら話しかけても返事がない。男と相棒は今夜、大きな舞台での公演が控えていた。憧れの大舞台でのはじめての公演だ。どういうわけで返事がないのか、男にはさっぱり見当もつかなかった。
 自分は一体、今夜の舞台で何をしたらいいのだろうか。しかし相棒はうんともすんとも言わないまま、開演時間は刻一刻と迫り、ついにそのまま幕があいた。
 舞台中央のテーブルにスポットライトが浴びせられ、テーブルの上にはいつも男の手元にある人形がぽつねんと置かれた。観客は息を呑んで見守る。しばらくの沈黙の後、男がぽつりぽつりと語りだした。それは相棒との思い出話だった。今までふたりでしてきたいろいろな体験、いろいろな話を、男は思いつく限り喋った。時折相棒へ呼び掛ける。おい、聴こえているか。しかし反応はない。
 観客は、なかなか腹話術が始まらないことに、はじめ動揺を禁じえなかったが、次第に男の語り口、相棒への思いに心奪われていった。一時間半に及ぶ公演の間、男は人形を手にすることのないままひとりで話し続けた。
 最後に観客に向かって一礼し、人形を残したまま舞台を後にした。客席はしんと静まり返っていたが、どこからともなくすすり泣きの声が聞こえて、それが引き金となってさざ波のようにすすり泣きがあちこちで起こり、しばらくは誰も立ち上がることができなかった。こんなことは劇場が始まって以来はじめてのことであった。
 男はこの日以来、二度と舞台に上がることはなかった。腹話術師を廃業して一週間ほど経った頃、男のもとに公演の噂を聞きつけた編集者から一本の電話がかかってきた。男と友人のことについて本を書かないか、という内容だった。男は引き受け、この本はベストセラーとなった。男はこの編集者と結婚し、ふたりの子どもに恵まれた。
 子どもたちはかわいい双子で、男は生涯幸せに暮らした。時折ふと古い友人のことを思い出し、呼び掛けてみることもあったが、それに応える懐かしい声を再び聞くことはついに一度もなかったという。

(絵と文 モノ・ホーミー/二〇一九年三月十六日)

第30夜「アトリエの夜」

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貝がら千話 第30夜「アトリエの夜」(二〇一九年三月七日)

 アトリエにいるときは、とにかく真っ暗にだけは気をつけなければならない。アトリエはわたしにとってどこよりも親密な、心安らぐ空間である。物心つくよりずっと前から、わたしはここで多くの時間を過ごした。このアトリエが一体いつから使われているのか、詳しいことはわからない。祖父も先代から引き継いだと話していた。
 このアトリエにはあらゆる道具がある。そのなかには、わたしからしたら何にどう使うものかわからない道具も山のようにあるし、同じようにありとあらゆる材料が今ではもう誰にも使われることなく眠っている。
 祖父は木工職人だった。わたしは祖父が滑らかな手つきで木を切り、削り、あたかもはじめからそうであったかのようにきっちりと組み上がった小さな箪笥を作り上げてゆくのを見るのが大好きだった。祖父の作った箪笥は何年使っても祖父の手つきと同じように滑らかな引き出しを保っていた。
 祖父の横では、仕立て屋の祖母がミシンを踏んでいた。祖母はオーダーメードのスーツを作っていて、いかにも上等な布をきっぱりとした手つきで裁ち、あっという間にスーツを仕立ててしまう。祖母はミシンを踏むリズムに合わせていつも歌を唄っていて、わたしはこの歌を聴くのが大好きだった。祖母の仕立てたスーツを着たおじさんたちはとても誇らしげに見えて、わたしもとても誇らしい気持ちになったものだ。
 父は版画家だった。銅の板に細かい絵を描いて、大きなプレス機で印刷した。絵を描いている間も、銅板を薬品で処理している間も、父はいつも険しい顔つきで、でも印刷がうまくいったときだけ本当にほっとした笑顔を見せる。その笑顔がわたしは大好きだった。わたしも父の横で一緒になって緊張し、一緒になってほっとした。美しい版画が刷り上がったときの喜びは格別だった。
 母は写真家だった。アトリエの中にスタジオを作り、日がな一日いろいろなものを積み上げては崩し、ああでもないこうでもないと首をひねっていた。夕方過ぎてようやく納得のいく写真が取れたかと思うと、今度はアトリエの中につくった暗室にこもって、ああでもないこうでもないと首をひねった。母は横で見ているわたしに時々おつかいを頼む。台所からおしゃもじを取って来てね。外から枝を拾って来てくれないかしら。わたしは母の役に立てるのが嬉しくて、おつかいが大好きだった。頼まれたものを持って来て母の気に入る構成ができるまで、わたしも一緒になって首をひねったものである。
 アトリエにはたくさんの楽しい思い出が詰まっている。わたしは職人でもなければ作家でもない。妹はデザイナーになったが、アトリエには物が多すぎて集中できないと言って、自分で事務所を設立して出ていった。だからこの優しい空間はわたしだけのものである。
 残されていた作品は全て手放してしまった。出来上がったそのひとつひとつに、何か意味があるとはわたしには思えなかった。価値があると思う人がいるならば、その人の手に渡って大事にしてもらった方がよいだろう。そんなことよりも、父と母が、祖父母が、それよりずっと前から、このアトリエでみなが過ごした時間、その手の記憶の残る道具たち、この場所がここにあることが何よりも大切なことだ。
 けれど、真っ暗はいけない。親密さは光によって保たれる。だからわたしは夜になる前に、全ての明かりをつけてしまう。真っ暗になったが最後、優しさも、温もりも、全て均一な闇に呑み込まれてしまうのだ。かつての手の記憶を携えていたはずの道具たちが持ち主のいない悲しみを思い出して、暗く重たい存在感を放ちだす、アトリエのそんな姿には耐えられない。
 だから夜になる前にアトリエの明かりをつけて、光が決して絶えないように、闇に呑まれないように、朝が来るのを静かに待っているのである。


(絵と文 モノ・ホーミー/二〇一九年三月七日)

貝がら千話について

貝がら千話について

貝がら千話はモノ・ホーミーによる絵とお話のプロジェクトです。

まずはじめに一枚の絵を描き、それからお話をひとつ書くという方法で、2019年2月6日から一日ひとつづつ制作しています。

百枚の絵と百篇のお話をまとめた『貝がら千話』の本は四巻まで刊行、全国のリトルプレスを扱う書店さんなどでお取り扱い頂いています。

このブログでは過去に制作した貝がら千話からいくつかを選んでご紹介してゆきます。

・貝がら千話Twitterアカウント
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制作を追いかけるかたちで一日一話づつ投稿しています。投稿時間は午前三時頃。そのほかにイラストの仕事の紹介や、展示のお知らせなどを掲載しています。

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その日に書いたいちばん新しい原稿を毎日投稿しています。展示のお知らせや、貝がら千話以外の作品を紹介することもあります。

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モノ・ホーミーについて

図案家。1986年鹿児島県生まれ、東京都在住。書籍を中心としたイラストレーションの仕事のほか、個人のプロジェクトとしてひとつの絵とひとつの物語からなる「貝がら千話」を毎日ひとつづつ制作している。


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Kaigara Senwa is a painting and storytelling project created daily by Mono Houmii. The project began on February 6, 2019, and has produced 808 stories and three books by April 23, 2021.

第21夜「風景のなかの人々」

貝がら千話 第21夜「風景のなかの人々」 (二〇一九年二月二六日)

貝がら千話 第21夜「風景のなかの人々」 (二〇一九年二月二六日)

「そこで何をしていらっしゃるのですか。」
「わたしですか。」
「ええ、あなたです。どうもこんにちは。」
「どうも。いや、何というわけではないのですが。」
「そうですか、ずうっと、そちらに座っていらっしゃるから。」
「はあ、まあ、たしかに座っておりましたけれど、あなたはどうしてわたしがここにずうっと、座っていたことをご存知なんです。」
「わたくしもずうっと、あなたを見ていたんですの。」
「そうですか、それは気が付かなかった。一体どこからご覧になっていたんです。何もおもしろいことなどないでしょうに。」
「ええ、何も。それだから何をしていらっしゃるのかと気になって、こうしてお尋ねしているというわけなんです。」
「もしかして、わたしのことが邪魔でしたか。何の用事もないのにこんなところでぼうっとして、邪魔になっていたのなら申し訳なかった。ですが、他に行くところもなくてつい、こうしてしまっていたのです。」
「いえ、そんなことはないんですよ。お気になさらないで下さい。わたくしも何もすることがなかったのです。それでそこの木のあたりから、ぼうっと立って、こちらの方を眺めていたんです。はじめはね、あなたがいらっしゃることにも気が付きませんでした。
 ごめんなさいね、悪気はないんです。でも、わたくしもぼうっとしておりましたし、あなたもちっとも動かないでずうっと、ただ座っておられたから、何というか…。」
「風景と同化して見えていたということですね。」
「ええ、そうなんです。本当にごめんなさい。」
「何も謝ることなんてないですよ。わたしなんて話しかけられるまで、あなたの存在にちっとも気がつかなかった。」
「だけどわたくし、あなたに気がついてからも、あなたがただただじいっと座っているから、本当に人間なのかしら、生きているのかしらと思って、動くまで待ってみようと長い間、黙って見ていたんです。失礼なことをしてしまいました。」
「そんなことはいいんです。こうして話しかけて下さって、感謝しています。せっかく話しかけてくださったのに、たいした話題もなくて恐縮です。まったく、気が利かないもので…。」
「それを言うのならわたくしもです。もしかしてあなたがなにかしていらっしゃるのかしらなんて期待するばかりで、自分だって何もないのに。」
「はは、お互い様ということですね。」
「ええ、でもわたくしあなたとお話しているうちに気がついたことがあるんです。」
「何でしょう、仰って下さい。」
「あそこ、見て下さい。人影が見えませんか。」
「本当だ、誰かいるようだ。」
「もしかしたら、あの方には何かあるかもしれませんわ。」
「確かに、あんなところで一体何をしているんだろう。もしよかったら、これからふたりであの方のお話を伺いに行きませんか。」
「いいですね、そうしましょう。ぜひお話を伺ってみたいわ。」

 それからふたりは並んでなだらかな丘をくだり、少し離れた木立の人影へ向かって歩き出した。

 

(絵と文 モノ・ホーミー/二〇一九年二月二六日)

第12夜「首絞め鳥の伝説」

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貝がら千話 第12夜「首絞め鳥の伝説」(二〇一九年二月十七日)

 動物園で二羽の鳥が死んだ。二羽は長い首がぐるぐるに絡まった状態でお互いを抱きかかえるようにして死んでいるところが発見された。動物園は、これを何者かによる悪質ないたずらではないかと結論する会見を開いた。これに対し、動物愛護団体は園側が動物に適切な保護管理を行っていなかったとして糾弾した。
 二羽の鳥を解剖したところ、鳥は空腹状態にあったことが確認され、今度は鳥類の研究者が、今では都市部でも身近な存在であり、木の実や小さな虫しか食べないとされているこの鳥が、本来の生息地である熱帯雨林の奥地ではネズミなどの小動物を捕食しているという研究論文を発表した。その発表を受けて、民俗学者熱帯雨林に住む人々のあいだに語り伝えられている、二羽の鳥が世界を誕生させたという神話についての書籍を上梓した。この世界は間も無く破滅しその未来を知る者だけが新しい世界へ生まれ変わる、その始まりを二羽の鳥が告げるという予言をした新興宗教団体の代表の霊能者が脚光を浴び、別の霊能者は、この動物園は昔処刑場だった場所に建てられており、復活した死者の霊が今度は動物ではなく人間へ危害を加える可能性を指摘した。
 動物園が二羽の鳥をそのまま剥製にして公開したので、怖いもの見たさでたくさんの人が押しかけた。そのほとんどが若い恋人たちで、絡み合う鳥の剥製を眺めながら互いの指を絡ませていた。その様子を見たテレビドラマのプロデューサーは売れっ子放送作家に声をかけ、自身初監督となる映画を製作した。それは全編が緻密な3Dで描かれたアニメーション作品であった。
 核戦争が終わり、誰もいなくなった街で廃墟と化した動物園の、奇跡的に爆撃を逃れたドームに取り残されたつがいの鳥は、ラストシーンで脱走防止のために短く刈り取られた翼を懸命に羽ばたかせ汚染された外の世界へ飛び立とうとする。一羽が少し浮き上がるともう一羽がその体が沈まないよう支える。二羽の鳥が互いを交互に抱きかかえながら少しづつドームの天井に向かって舞い上がる様子は、まるでダンスのようだった。
 しかしドームの天井は固く閉ざされており、天井にぶつかった二羽は無慈悲にも力尽き、抱き合った状態のまま落下して死んでしまう。この映画は大成功を収め、二羽の鳥が抱き合うモチーフをあしらったグッズが人気を博した。押し合う人々が壊した建物の柵が客に怪我をさせる事故が起きて動物園は閉園し、その跡地に抱き合う二羽の鳥の銅像が建てられた。
 時が経ち、この像は今でもわかりやすい目印として知られているが、像の建てられた経緯を知る者はもはやほとんどいない。若者たちはこの銅像を「首絞め鳥」と呼び、約束を断りたいけれど直接伝えにくいとき、ここを待ち合わせに指定することで暗に気持ちを伝えるという使い方をされている。
(絵と文 モノ・ホーミー/二〇一九年二月十七日)

第9夜「一三〇〇人の同僚と女王陛下の寝所」

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貝がら千話 第9夜「一三〇〇人の同僚と女王陛下の寝所」(二〇一九年二月十四日)


 わたくしのつとめは女王陛下のお支度をお手伝いさせて頂くことでございます。毎朝まだ暗いうちに一三〇〇人の同僚と真っ暗なバスに揺られて、女王陛下の寝所へ向かいます。バスの窓には黒い布がぴっちり貼られて、どこをどう走っているのか見ることはできません。外から明かりが漏れてくることもありません。わたくしたちは、一言も互いに口をきいたことはありませんが、この一三〇〇人は皆、女王陛下のお化粧を担当する者たちです。
 皆、寝所に着くまでは黙ってじっと座っています。わたくしは大抵この間に仮眠をとっておりました。他の者もおそらくそうであったのではないでしょうか。途中で目覚めると、女官たちのスースーという寝息が、暗いバスの中に響いておりました。女官たちはもちろん全員が顔に黒いベールを垂らしていますから、はっきりと確かめたわけではありませんけれど。
 寝所に着くと、一人づつ呼ばれて自分の担当箇所で降ろされます。わたくしの呼ばれるのは七三六番です。バスの降車口で、今日の分の化粧品を受け取ります。化粧品は一日分づつブリキ缶に入っています。こういったものを用意する者たちも、どこかで同じように働いているのではないかと思います。
 仕事はひとりで行います。仕事中に他の女官に出会ったことはないので、皆一人づつ自分の領域を担当しているようです。女王陛下はお眠りになっている間に幾分肌が乾燥しておられるので、お肌の汚れを丁寧にふきとり、保湿をすることからはじめます。最初に精製水の缶をあけて女王陛下の表面をふきんで清め、次に化粧水の缶を、それからクリームの缶をあけます。ひと缶あけるごとに担当区域を端から端まで移動するのでなかなかの重労働です。
 それが終わると下地クリーム、ファンデーションと続き、最後に全体に透明感のあるお粉をはたいておわりです。
 一番大変なのはファンデーションを均一に塗布する作業です。ムラなく塗らないと粉が固まってくっついてしまいます。女王陛下の表面には深い窪みや分厚いヒダがいくつもあって、それらを持ち上げたり覗き込んだりしながら慎重に仕上げてゆきます。表面が次第に整ってゆくうちに、女王陛下の体温が少しだけ上がって、肌がつややかな血色を帯びてくるように感じます。このときにいちばん仕事のやりがいを感じたものでした。
 この行程を終えるとブリキ缶の化粧品はいつもちょうど使い切って、空になった缶を抱えて帰りのバスを待ちます。一三〇〇人の女官を乗せた真っ暗なバスは、女官たちを、来た時と同じようにそれぞれの寝所へと運ぶのでした。毎日がこの繰り返しです。翌朝行くと前の日に女王陛下の表面へ施した化粧はすっかりなくなっているので、きっと化粧を落とす係もいるのでしょう。
 その日もいつものように仕事へ向かいました。いつもの段取りで進め、ファンデーションを塗っている途中で窪みの中に大きな岩のようなものが落ち込んでいるのを発見しました。不思議に思いながらも、これをどけないことには作業をすすめることができません。
 わたくしは岩を押したり引いたり、力まかせに動かそうとしましたがびくともせず、ふいに持ち上げようとしてみたこところ岩は思いの外すっと動き、わたくしは抱えた岩を勢い余って取り落とし、尻もちをついてしまいました。
 岩の下には穴があり、その穴から、水がどんどん流れ出してきました。ブリキ缶が流れていくのを食い止めようとしたわたくしも流れに足をとられ、そのまま濁流に呑まれて、家の近くのバス停の前で倒れているところを発見されたのでした。
 翌朝も同じようにバス停へ向かいましたが、バスは来ませんでした。がっかりしているわたくしを心配してか、家族は女王陛下のことは早く忘れるようにと言いました。わたくしも、もう家族にこの話をすることはありません。女王陛下は、一三〇〇人の同僚達は、今頃どうしているのでしょうか。今もわたくしを除いて続いているのでしょうか。わたくしの手元には流されるとき握ったまま持ってきてしまった、粉をはくための筆だけが残されています。

(絵と文 モノ・ホーミー/二〇一九年二月十四日)

第3夜「旅の王子」

貝がら千話 第3夜「旅の王子」(二〇一九年二月八日)

貝がら千話 第3夜「旅の王子」(二〇一九年二月八日)

 とりわけ王子を失望させたのは、人間というものが皆さして違わないということだった。
 王子は幼少の頃より世界中、古今東西のあらゆる物語に親しんできたが、それらの物語によると世の中というものはどんなことが起きるか想像もつかない不可思議なもので、本当にたくさんの色々な人がいるらしいということだった。王子は、あらゆる物語に親しんできたわけだから、何も未知の出来事に、ただ旅に出るということだけでそう簡単に遭遇できると期待していたというわけではさすがになかったけれど、旅に出た暁には今まで出会うことのなかった人々との出会いがきっとあるだろう、そう夢見て旅立ちの日を心待ちにしていたのだった。
 ところが実際はそんな甘い幻想はいとも簡単に打ち破られてしまった。大抵の人はまず、王子が王子という身分を隠すため身にまとったみすぼらしい衣服を頭のてっぺんから爪先まで一瞥しただけでつまらない貧しい子どもとみなし、まったく相手にしようとしなかった。しかしひとたび王子がその姿に似つかわしくない大金を所持していることがわかると、態度を一変させてばか丁寧にうやうやしく接してきた。とはいえ、せいぜいどこかの金持ちの息子程度としか思っていない彼らは、本心から王子を敬うということは一切なく、隙あらば王子の持つ大金をどうにか横取りしようと画策していた。
 幸い王子には遠巻きに厳重な警護がついていたから命の危険にさらされるようなことはなかったが、人間というものに強い興味を抱いていた王子は、旅を終える頃にはその気持ちをすっかり失ってしまっていた。
 王子は大変きっぱりとした潔癖な性質だったから、城へ戻り、即位式を終え、最初に取り掛かった仕事は旅で出会った卑俗な人々への処罰だった。驚くべきことに、王となった王子が人々へ身分を明かし、罪の摘発をはじめると、その近縁の者から同質の罪人を摘発する声がどんどんあがりはじめた。国を思う若き王は、そのような人々を次々と罰していった。
 そうこうしているうちに、処罰の対象は城に仕える家臣、従者、下女、兵士、料理人にまで及んだ。ついにはこの国に残された善き人々は、王と、国境にひとり住んでいるらしい魔女と呼ばれる女の二人だけになってしまった。女は誰ひとりとも関わりがなかった為に、誰からも罪の摘発を受けることがなかったのだ。
 国民のいない国に城は必要ない。等しく奴隷となった元国民の罪人たちに、王は城の解体を命じた。まずは石垣の石をひとつづつ取り崩すことから作業は始まる予定である。
 王は明日、新たな旅へと出発する。善き人である国境の魔女を、訪ねてゆくつもりである。

絵と文 モノ・ホーミー/二〇一九年二月八日)